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少数派で生き抜くサバイバル術その3「少数派同士で徒党を組まない」

昨日は、同じ少数派を排除しないだったので、いきなりそれに逆らったように見える。

ただ、そうではないし、あくまでも「排除しない」ということである。

徒党を組んだとしても、少数派同士ではすぐに仲違いを起こす。

政治の常識として、与党は求心力、野党は遠心力というものがある。

与党には権力があるから人ができるだけ集まるようになる。

しかし、野党にはそれがないから、一時固まってもすぐに離れていくようになっている。

日本の新党の成り立ちをみれば明らかだが、結局は雲散霧消の結末を迎える。

なので、少数派同士で組んだとしても、その結論はお察しの通りとなる。

同じように苦しんでいる人がいたとしても、そこだけでなんとかしない方がいい。

できれば多くのネットワークにし、多数派から引き込むぐらいがちょうどいい。

そうしないと、ただの変わり者の集まりということになってしまう。


LGBTの件で、想像以上の騒動になっているなと感じている。

昔流行したホモキャラを復活させただけでこれだけの騒動になる。

選挙の常識として、ネガティブな話題でも話題を独占し続けるべきだというのがある。

さすがにここまで騒動になれば、とんねるずにとってプラスにならないだろうか。

それこそ、みんなが痛いんだからお前だけ主張するなという意見が出てくる。

これはもう地獄であり、多様性でもなんでもない社会である。

ゴールもないかもしれない。それはかなり恐ろしい状況と言える。

つまり、多数派の声で少数派の声を封殺するのと同じようなことだ。

一方で、どんな人でも致命的な失敗を犯すことは十分に考えられる。

その時に、復活の道筋を残さない、破滅的な考え方にも自分は思える。


みんなが痛いんだからお前だけ主張するなという意見には一切賛同しない。

ただ、日常では案外こうした人はいるし、確かにその状況だとそう思うかもしれない。

思想として、そんなこと言うなよと確信をもって思うことはできる。

でも、現実として、それを確信をもって思えるのかどうか。

こうしたジレンマを乗り越えないといけないから、やはり100年はかかる。

少なくともできることは、少数派同士で仲良くしてもしょうがないということだ。

徒党を組むのではなく、いつでも接続と分離が可能な緩やかな状況がいい。

自分勝手に見えて、実はその方がお互いにストレスもなくいいように感じる。

そこには団結も絆もいらない。接続できる空間があればそれでいい。