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悪気がない・無頓着・自意識不足は罪が重い

追記あり2024年4月

初出2022年3月

 

日本人は良くも悪くも同調圧力に屈しやすく、個性を発揮しにくい。

人と同じであることに安心を覚え、人と違うこと、常識と違うことに嫌悪感を持つ。
とはいえ、すべて常識通りの行動をとれる人もそういない。
どこかで常識外のことをしてしまうものだから、あまり考えすぎない方がいいように思う。
 
さて、同調圧力がいい具合に働くケースとして、ここ最近のコロナ対策がある。
一番はマスクの問題、諸外国ではマスクの着用を義務付けないとできない中で、日本は誰に頼まれたわけでもなくマスクをつける。
自分自身もマスクをつけて外に出るが、一度も苦に思ったことはない。
自らが花粉症で、マスクをつけなければお話にならないほど苦しい分、自分の身を守る術のようなものだったからだろう。
花粉症でもなく、特に健康の意識も高くない人にとって、マスクはとても邪魔な存在なのはここ2年で嫌というほど痛感させられた。
 
鼻マスクをなんでしてしまうのだろうと以前から思っている。
息がしにくい、メガネが曇るなど色々あるのはわかっているが、だから鼻マスクをするという正当な理由になるのだろうか。
ワイヤーが入っていない不織布以外のマスクなら息はしやすいが、いちいち鼻が出てうっとうしい。
出たら元に戻すを繰り返す、この作業で表面についたウイルスが手につく。
コロナ前からマスクの正しいつけ方が散々テレビで言われてきても結局は多くの人の頭の中に入っていない。
 
鼻マスクの割合はそこまで高くない。「自分ぐらいしか鼻マスクの人がいない」という状況でも改善しようとすらしないのはどういうことか。
個人的な考えとしては、トナラーのような無頓着、自意識不足の人間が鼻マスクをすると思う。
一切理解できないが、ノーマスクを宣言する人は明らかに意識をしてノーマスクでいる。
この方がまだポリシーが伝わるし、怒りこそ激しく覚えるが、諦めがつく。
無頓着の人は悪気があってやっているわけではない。
単に、自身に注意を与えてくれる、恵まれた人間関係を持ち合わせていない人物なだけだ。
トナラーの人の話を聞く分には、無頓着で自意識が足りない人物が多いように感じる。
 
悪気がない、無頓着、自意識不足は個人的には重罪だと思っている。
悪気がなければ何を言っても、何をやってもいいのか。
無頓着ならすべてが許されるのだろうか。
窃盗や強盗は明らかに悪気があるが、交通事故は基本的に悪気はない。
悪気がある交通事故は殺人や殺人未遂の類である。
周囲に無頓着だったから交通事故を起こしてしまう。
悪気がなくて無頓着だったからセーフとはならない。
結果的に甚大な被害を与え、人を傷つけたのであれば、その対価を支払わないといけない、これが普通である。
ところが、日常生活となると、悪気のなさや無頓着は許されてしまう。
それどころか、反撃しようものなら最初にやられた側が野暮な人だと思われがちだ。
悪気のない行動で引き起こしたトラブルは単なるヤリ得、ヤラレ損なのだろうか。
 
個人的にやっているのは、何も指摘せずに距離を置くこと。
こいつといても得がない、ただただ損をするだけだと思うようにしている。
相手はそれに気づかないし、色々な人とトラブルを起こしながら生きるだろう。
その人物が致命的なトラブルを犯した時、心の底から爆笑すればそれでいいと思っている。
悪気がなくて無頓着な人間は言ってもムダであり、話も通じない。
ならば、その人物が手に負えないミスをしたら全力で爆笑した方がまだマシである。
この手の人間は人の善意を平気で踏みにじり、善意を善意とも思わない。
天然ボケの人間はこのタイプが多いが、生き残れるのは可愛げのある人物のみだ。
 
鼻マスクをする人は、可愛げだけは持っていてほしい。
ただこの文章を読んだところで、自分の事だとは思わないだろうが。
 
追記
 
今はマスクをつけないのが当たり前になっており、マスクをつける人が少数派となっている。
さすがに自分ですらもうマスクを外そうかとすら思うぐらいだ。
実はこの記事のきっかけとなった人物がいる。
普段パチスロを打ちに行く時にいつも見かける50代ぐらいの男性である。
この人物が当時一貫して鼻マスクを貫いていた。
常に鼻マスクだから、イライラというよりも不思議な気持ちが強かった。
コロナになりたがっているのだろうかとすら思った。
マスクを外してもいいというタイミングで速攻外していた。
この人がまぁ無頓着で自意識不足なのか、音量は常にマックスだった。
そして、不思議とメダルを出してる。
人生なんてのは得てしてそういうものなのだろうか。